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【寄稿】農業と自然信仰

日本人は自然から食物を得るとき、そこに自然への感謝の念をあらわしてきた。古の猟師や漁師はその収穫を山の神や海の神に感謝して獲物の一部を神に捧げていたという。

これらの一種「自然信仰」的な考え方は縄文文化(乃至狩猟採集文化)的と捉えられがちであるが、その考え方は決して縄文以降に続かなかったわけではなく、むしろ弥生以降の農業文化にも色濃く残っているといえるだろう。

それを如実にあらわしている文化の一つが我が国における収穫祭であろう。

収穫祭とはその名の通り作物の収穫を祝う祭りであるが、世界的に有名な収穫祭を見ると、例えばドイツのオクトーバーフェストやスペインのトマト祭り、モンマルトルのぶどう収穫祭など自分たちの収穫をみんなで飲み食いして盛り上がるというようなものが多い。

一方で我が国のそれは宮中の「新嘗祭」のように「新穀を天神地祇に供え」(デジタル大辞泉)る、八百万の神々への感謝ありきのものとなっている(なお、天神地祇とは天つ神国つ神の総称のことである)。

神々への感謝、すなわち自然への感謝というものはある意味で自然エネルギーにも通じるものである。

自然エネルギーも農業と同様に自然を相手にするものであり、自然によって左右されてしまうものである。

そう考えると農業と自然エネルギーをつなぐソーラーシェアリングにとって、日本に古くから存在する自然への感謝すなわち自然信仰的観念は実は重要視すべきものなのかもしれない。

寄稿

研究員 小池 哲司


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